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d y s t o n i a

1994年の秋より、ピアノを弾く折、意志通りに指が動かなくなるという症状が現れてきました。
「ジストニア」についての体験記です。


 03/04/08 はじめに
 03/04/10 最初の兆候 (1994年9月~1995年3月)
 03/04/16 あきらめの心境 (1995年4月~9月)
 03/05/02 いつの間にか、克服 (1995年10月~1997年7月)
 03/05/15 再発の予感 (1997年8月~2001年12月)
 03/05/20 弾けなくなって(2002年1月~12月)
 03/07/07 ジストニアとの診断 (2003年1月)
 03/10/17 リハビリの日々 (2003年1月~4月)
 03/10/31 自分なりに (2003年4月~10月)
 04/01/27 大きな波 (2003年11月~2004年1月)
 04/06/14 あとには引けない(2004年6月)
 04/08/27 本番2週間前 (2004年8月)
 05/03/14 いつになったら (2005年3月)
 09/12/05 レオン・フライシャー氏の番組を見て


ジストニアのリハビリレッスンを行います。
詳細は、mau960@hotmail.com(@を小文字に)まで、お気軽にお問い合わせください。
レッスンはこちらにて行います。



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レオン・フライシャー氏の番組を見て

昨晩のNHK芸術劇場 は、ピアニストのレオン・フライシャー氏の特集でした。
フライシャー氏が35年にわたる右手のジストニアを克服、両手での活動を再開したことは、勿論知っていました。
番組は、インタビュー編とコンサート前半は半分程見たものの、コンサート後半のシューベルトのソナタ21番は、まだほんのさわりしか見ることができていません。
「見る」...フライシャー氏の演奏時の手付を見れば、完治には遠いであろうことがよく分かります。

シューベルトのソナタ21番は、随分前にジストニアの記事 にも書いたように、ジストニアの症状が初めて現れてから、数ヶ月後に演奏した曲です。大学院の修了試験で取り上げたのですが、指使いを散々工夫、果ては音を抜いたり、最後はほとんどやけくそでの演奏、よくぞ卒業できたものだと思います。

氏の演奏姿を見ていると、その当時の感覚がなまなましく甦ってきます。
どうしてそのような手付になってしまうのかが手に取るように分かり、どんなにもどかしい感覚での演奏であるか、また、綱渡りの状態であるかを思うと、とてもまともに見てはいられないのです。

フライシャー氏は、35年かけて快復への希望を持つことができました。
私は、それよりもっともっと短い期間で、随分快復することができた...私の中では長い年月だったけれど、それでも、35年という年月を思うと、なんと短いことか。

簡単な和音ひとつまともに弾けず、それどころか、鍵盤に手をのせようとしただけで、捻れてしまうという状況からの快復...薬を使うこともなく、自己流のリハビリのみ。特別なことをしたわけではなく、一口に言えば"脱力"ということを、常に考えていたという感じです。
(ちなみに番組では、ピアノを弾く時だけに症状が出ると説明されていましたが、私の場合は、PC使用時、コップを掴もうとする時、エレベータのボタンを押そうとする時など、日常的に症状が現れていました)

今でも完治したわけではなく、試行錯誤、調子が悪くなると、また弾けなくなるのではないかという思いに捉われることもあります。でも、たぶん大丈夫だろうと、そのうちに、気持ちも調子も立て直すことができる...ジストニアとの付き合い方を、少しずつ学んでいるのでしょう。

取り組む曲も、その時々の手の調子によって選んでいる面もあります。ある曲を練習していて調子が悪くなると、これ以上弾くとまた弾けなくなるかも、と怖くなり、曲を変えることも少なくありません(今年のコンサートも、夏頃までは、オールシューベルトプログラムの予定ではありませんでした)。

それでも私は、たしかに快復しています。なぜここまで快復できたのか、それを進んで語るべきなのではないかと思うことがあります。ジストニアの確実な治療法は見つかっていない今、何かの役に立つことがあるかも知れない、と。

でも、非常に感覚的なことゆえ、私の力では、とても言葉にはできそうにない面が多々あり、医学的知識もない私が、中途半端に言葉にしてしまうことは、何かしら誤解を与えてしまうことが、きっとあると思うのです。

一体どうして快復したのか、自分自身にもよく分からない、説明できないことが、たくさんあります。そうした諸々を整理して、いつか言葉にしたい、することができればという気持ちは、あります。

フライシャー氏は、手がアップで放映されるにもかかわらず、よくテレビ放映を許可したものだと恐れ入ります。この症状を、少しでも多くの人に知ってもらいたい、そして、今苦しんでいる人たちに諦めてもらいたくない、希望を持ってほしいというメッセージを伝えたいという意味も込められているのか...氏の胸中は想像するしかありませんが、とにかく、大変な重みを感じます。

私は、ジストニアは全く関係なく、氏の音楽にとても感じ入るものがあります。シューベルトのソナタの録画は、時間のあるときに、ゆっくりと見て、聴いてみるつもりです。
私も、今、苦しんでいる人たちには、どうかあきらめることだけはしてほしくない、焦らず長い目で見てほしいと、心から願っています。

いつになったら (2005年3月)

ジストニアを患って、何より痛感したのは、「諦めないこと」と「焦らないこと」を両立させることの難しさ、である。ピアノを弾くことを、諦めたくはない。でも、ちょっと良くなったかなと思ったら、また悪くなることを繰り返すばかりで、月日は矢のように過ぎてゆく。いつ治るとの目処もたたない。まるで、弾けないことを確認するだけのために、ピアノに向かっているような日々...昨年、さすがに、本番2週間前に弾けなくなった時は、焦らずにはいられなかったが、それも「調子のいい時は弾けたのだから大丈夫!」と自分に言い聞かせ、何とか乗り切った。そして、こういう状況でも何とかなるのだ、と、自信にもなった。
その後、調子の波もかなり安定してきた。昨年12月頃は、随分支障なく弾けるようになり、これだけできれば2時間のソロライブをやることができるだろう!と、あれこれ具体的に考えるようになった。ただ、ジストニアの症状が全て消えたわけではなかった。症状は出るけれど弾ける、という状況に、少し不安もあったが、いかんせん、弾けるという事実はうれしかったし、この調子でいけば、全快は遠くないと思っていた。

この1年あまりに、少なからぬ曲を演奏した。難曲大曲はなかなか難しいにしろ、これだけ弾けて、「手のトラブルを抱えてます」と言ったところで、信じてもらえない、もしくは、たいしたことはないと一蹴されるであろう。しかし...

このところ、手の具合が下降線なのは、薄々感じていた。あれだけ安定していたのだから、一時的なものであろうと考え、無理しないよう気をつけてはいた。が、この一週間ほどで、また、弾けなくなってきたのだ。ある和音からある和音へ移る時、手首が変に上がって、指に力が入って固まる。アタマでは「この音を弾く」というのが分かっているのに、その音を弾こうとすると、手がひきつるような感じがして、思うようにいかない。ここでぐっと力を入れると弾けたりもするのだが、そんな無理はそう続かない。挙句は、鍵盤に手を置こうとすると、手がぎゅっと丸まってしまう感覚が出てきた。etc...

やはり、こんな不安定さを抱えて、2時間ライブなんてまだ無謀な話だ。6月の予定であったが、結局、日にちは決めずに、出来そうになったらその時にまた考える、ということになった。延期。4月のジョイントコンサートで演奏するラヴェルのソナチネは、こんな状況でも1、2楽章は何とかなりそうだ。懸念は3楽章だが、まだ1か月以上あるのだから、手の様子も変わってはくるであろう。少なくとも、これ以上悪くならないことを願うしかない。

まるで弾けなかった頃と比較すると、いくら調子が悪いといえど、弾けると言えるだろう。ただ、もうほとんど治ったと思っていたのに、まだそうではないのだ、と思い知らされた。手が言うことをきかないと、何もかもがどうでもよい気持ちになってしまう。これだけ長く患っていても、気持ちの切り替え、割り切りがうまくできないのは変わらない。私は、何をやってるのだろう。一体、いつまで続くのか。演奏することを、許してはもらえないような、気がする。

本番2週間前 (2004年8月)

気が付くと、本番まで後2週間となった。今は、正直言うと...無理な力が入って手が捻れ、1小節弾いては止まらなくてはならないという、よくよく考えると、とても舞台になぞ上がれそうにない、何とも恐ろしい状況だ。それでも、今のところ、キャンセルすることは考えていない。最悪、曲目変更してでも、やろうと思っている。今からプログラム印刷の変更はきかないので、迷惑をかけることには違いないが、ドタキャンよりはマシであろう。
ここまで悪化したのは、いつもの大波に加え、怒涛の入力作業も影響しているのではないかと思っている。数日間、明けても暮れても入力作業をしていたのだが、パソコンのキーを叩くのに違和感が大きくなってきたのと、ピアノが弾けなくなってきたのは比例していた。でも、入力の仕事はやめるわけにはいかない...

パソコンとピアノの因果関係はよく分からないが、たしかに、ピアノが弾けるようになると、パソコンだって打ちやすくなるし、逆もまた然り。入力作業が終わって、しばらく必要最小限しかパソコンキーを打たないようにしていたが(打つ気力もなかった)、だからといって、ピアノが弾けるようにはならない。ジストニアは、休んだところで治るものではないのだけれど、当分、無理なことはしたくない。

今回、手の悪化の可能性があったため、演奏会案内はほとんどしてこなかったが、まぁ大丈夫だろうとふんでいたので、演奏会が近くなったら、もっと案内するつもりでいたのに...concertページの演奏会案内も、削除することにした。手さえ良くなれば、曲は大まかなところはできているので、弾くのに問題ないが、細かいところを詰めていく練習がほとんどできていないので、どのみち、不本意な演奏になることは目に見えている。練習さえできれば、いくらだって努力するのに...くやしい。どんなに大変なことであっても、報われても報われなくても、思うように「努力することができる」というのは、それだけでしあわせなことなのだと感じる。

演奏会出演は、時期尚早だったかも知れない。聴きに来てくれるという友人知人には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、どういう状況になろうと、精一杯ベストを尽くしたい。

あとには引けない (2004年6月)

大波の続く左手。たしかに、どんなに調子が悪くても、全く弾けないということはなくなったが、手が捻れるような感覚が起こったり、縮こまろうとしたりで、コントロールが効かなくなるのだ。弾ける曲も限られている。そんな中、9月のジョイントコンサート出演の話があった。先週末、散々迷った挙句、無謀にも出演する旨返事をしたが、今月のとあるピアノサークルで弾かせてもらい、その出来次第では断るつもりでいた(まだ融通がききそうであったので)。
たしかに、思うようには弾けなかった。文字通り薄氷を踏む思いで、細かいコントロールがうまく効かず、手さえうまく動けばできるのに...という箇所も多々で、くやしくもある。しかし、自分がこう弾きたいというヴィジョンが見えてきたこと、今の時点でまがりなりにも人前で暗譜で通せたこと、あと3か月あるということを考えて、このまま出演という方向で頑張ってみようと決めた。

もし、ドタキャンなんてことになったら、人に迷惑もかかるし、自分もつらい。それは分かっているのだけれど、もし、これ以上良くならないものなら、「この状態でやっていく」ことを考えていかなくてはならないし、このままじっとしていても何も変わらないのでは...と思うと、自分にガツンと刺激を与えたくなったのだ。ある種の賭け、か。

手は、どこまで快復するのか、分からない。ここまで快復したこと自体すごいことなのかも知れない(何も知らない人が私の演奏を聴いても、手が悪いなんて恐らく分からないと思う)。ともあれ、たとえ手が治っても、体調や気持ちの上で、いつもベストの状態で演奏できるとは限らないものだ。そういや学生時代、指先を傷めて、一週間練習できずにハイ本番!ってこともあったっけ。そういう時に、火事場の馬鹿力(?)で、意外にも悪くない演奏ができたり。ゆえに、これもひとつの経験。やるからには精一杯のことはやりたいし、どう転んでも、自分の肥やしにできればと思っている。

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