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いつになったら (2005年3月)

ジストニアを患って、何より痛感したのは、「諦めないこと」と「焦らないこと」を両立させることの難しさ、である。ピアノを弾くことを、諦めたくはない。でも、ちょっと良くなったかなと思ったら、また悪くなることを繰り返すばかりで、月日は矢のように過ぎてゆく。いつ治るとの目処もたたない。まるで、弾けないことを確認するだけのために、ピアノに向かっているような日々...昨年、さすがに、本番2週間前に弾けなくなった時は、焦らずにはいられなかったが、それも「調子のいい時は弾けたのだから大丈夫!」と自分に言い聞かせ、何とか乗り切った。そして、こういう状況でも何とかなるのだ、と、自信にもなった。
その後、調子の波もかなり安定してきた。昨年12月頃は、随分支障なく弾けるようになり、これだけできれば2時間のソロライブをやることができるだろう!と、あれこれ具体的に考えるようになった。ただ、ジストニアの症状が全て消えたわけではなかった。症状は出るけれど弾ける、という状況に、少し不安もあったが、いかんせん、弾けるという事実はうれしかったし、この調子でいけば、全快は遠くないと思っていた。

この1年あまりに、少なからぬ曲を演奏した。難曲大曲はなかなか難しいにしろ、これだけ弾けて、「手のトラブルを抱えてます」と言ったところで、信じてもらえない、もしくは、たいしたことはないと一蹴されるであろう。しかし...

このところ、手の具合が下降線なのは、薄々感じていた。あれだけ安定していたのだから、一時的なものであろうと考え、無理しないよう気をつけてはいた。が、この一週間ほどで、また、弾けなくなってきたのだ。ある和音からある和音へ移る時、手首が変に上がって、指に力が入って固まる。アタマでは「この音を弾く」というのが分かっているのに、その音を弾こうとすると、手がひきつるような感じがして、思うようにいかない。ここでぐっと力を入れると弾けたりもするのだが、そんな無理はそう続かない。挙句は、鍵盤に手を置こうとすると、手がぎゅっと丸まってしまう感覚が出てきた。etc...

やはり、こんな不安定さを抱えて、2時間ライブなんてまだ無謀な話だ。6月の予定であったが、結局、日にちは決めずに、出来そうになったらその時にまた考える、ということになった。延期。4月のジョイントコンサートで演奏するラヴェルのソナチネは、こんな状況でも1、2楽章は何とかなりそうだ。懸念は3楽章だが、まだ1か月以上あるのだから、手の様子も変わってはくるであろう。少なくとも、これ以上悪くならないことを願うしかない。

まるで弾けなかった頃と比較すると、いくら調子が悪いといえど、弾けると言えるだろう。ただ、もうほとんど治ったと思っていたのに、まだそうではないのだ、と思い知らされた。手が言うことをきかないと、何もかもがどうでもよい気持ちになってしまう。これだけ長く患っていても、気持ちの切り替え、割り切りがうまくできないのは変わらない。私は、何をやってるのだろう。一体、いつまで続くのか。演奏することを、許してはもらえないような、気がする。

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